二代目中村雪之亟: 2008

2008年8月31日日曜日

中村雪之亟の世界
むらさき小唄〜赤坂は女の香り

     唄 二代目中村雪之亟
[30cmLPレコード] AMON-5008 ¥1,800
製作:東京レコード
販売元:ビクター音楽産業株式会社
1974年(昭和49年) 2月5日発売

2008年8月29日金曜日

      二代目 中村雪之丞 (第二回公演プログラムより)

2008年8月25日月曜日


二代目中村雪之亟襲名披露公演
水上勉書き下ろし戯曲 心中天の橋立

題字 水上勉

演出 木村光一

■昨年五月、日劇ミュージック・ホールにおいて、「狐火」の題で八重垣姫を踊り、歌舞伎俳優の佳さとはまた別個の魅力をみせて大評判をとったむらさきうさぎが、このほど、水上勉の書き下ろし戯曲「心中天の橋立」を得て、新たな芸の道に激しい意欲を燃やす白熱の名舞台である。演出は文学座の木村光一、共演には江原真一郎、中村芳子、南原宏治らが顔を揃えている本格公演。
■徳川末期の宮津瀋を背景に、佐幕一辺倒の譜代藩主に抗して維新の革命に走っていく脱藩男・物頭戸部新九郎の時勢を早取りして生きる冷酷さの蔭で、愛怨の業火に身を焼いた女きくと、その夫である貧しいちりめん飛脚太吉の、短い生涯を描いたもの。ごひいきのうさぎのために特にこの芝居を書き下ろした作家・水上勉氏は「女主人公きくの奔放性と純真性とが混りあう女の業念を演じるには、彼にはうってつけながら、また、張りあいもあろうかと、ペンをとった。--書くのも楽しみながら、観るのも楽しみですすめた脚本はこれがはじめてかもしれない。」と語っている。
■これを機会に、うさぎは映画や演劇で有名な「雪之亟変化」より、原作者・三上於菟吉ご遺族の了解のもと二代目・中村雪之亟を名のることになった。名もなし、家柄もなし。女形として古典演劇に挑戦し大成するには、余りにも徴力なうさぎではあるが、その清新さ、初々しさは、明日の女形としての魅力は十分過ぎるほどである。うさぎの持つ健康美こそ、これからの歌舞伎の体質の一面を表していると思われる。

 《登場人物》
■きく……中村雪之亟
■太吉……江原真二郎
■母とく……中村芳子
■戸部新九郎……南原宏治

 《スタッフ》
■演出 本村光一
■美術 朝倉 摂
■音楽 松村禎三
■照明 古川幸夫
■効果 深川定次

日比谷 芸術座    昭和47年(1972年)10月

2008年8月21日木曜日

 昭和47年(西暦1972年)10月、二代目中村鴈治郎さんの妹、中村芳子さんのご紹介で長谷川一夫先生に会い、中村雪之亟襲名のご挨拶をした。
 長谷川一夫先生には「(私の主演の映画)「雪之亟変化」で話題の作品だから、私が一代目ということで、二代目を名乗られたらどうですか?」と言っていただき、また関係各所、三上於菟吉先生のご遺族の了解もあり、襲名公演で二代目 中村雪之亟が誕生することとなった。長谷川先生にはその後も女形の細かい仕草など、いろいろと教えていただき指導を受けました。

2008年8月20日水曜日

うさぎ“雪之丞”に変化
架空の名題に現実の二代目

 「雪之丞変化」のあの雪之丞に二代目が誕生した。襲名したのは、いままで“むらさき・うさぎ”(写真)と名のっていた二十七歳になる男性(女性?)である。
“流す涙がお芝居ならば・・・”の歌で一世をふうびした三上於菟吉作「雪之丞変化」の女形・中村雪之丞は、もちろん創作上の人物。
 こんど、ひいき筋の水上勉氏のすすめや三上於菟吉の遺族の了解もあって、めでたく架空の人物に現実の二代目が生まれたわけ。
 二代目になった“むらさき・うさぎ”は舞踊では花柳寛五郎という名取。雪之丞襲名が決まったとき、彼女・・・いや彼は、「皆様のおかげで・・・」とうれし泣きをしていた。そして、九月三十日から十月四日まで、東京・有楽町の芸術座で水上勉書き下ろしの芝居「心中天の橋立」を演じて襲名披露をすることになった。
 水上勉氏などは、すでに台本の第一稿を書き上げたという張り切りようだし、共演を買って出た中村芳子、江原真二郎、南原宏治もみんな彼の熱心なごひいき筋だという。これも彼の女っぽさゆえか。


雪之亟誕生

 中村雪之亟(なかむらゆきのじょう)という名は、大衆文学の寵児といわれた三上於菟吉(みかみ おときち)(昭和十九年二月七日歿)が、昭和九年(1935年)十一月から翌年八月まで東西の朝日新聞夕刊に執筆し、満天下の読者を沸かして大いに洛陽の紙価を高めた、時代小説「雪之亟変化(ゆきのじょうへんげ)」の主人公のことで、女みたいに美しく、しかも学有り剣も免許皆伝の歌舞伎の女形役者である。
 この度、東宝演劇部の知人を介して、むらさき・うさぎさんという女形から、初代雪之亟の名は永遠に原作の中に生き続けていることを尊重するゆえ、若名として是非二代目中村雪之亟を名乗らせて欲しいと言って来られたので、関係者とも話し合って了承した次第である。
 ところで余談であるが、富士山麓の富士霊園内にある「文学者の墓」には、菊池寛・吉川英治氏等多くの物故作家の方々と一緒に、記念のため三上於菟吉と、その伴侶だった女流作家 長谷川時雨(はせがわ しぐれ)の遺品を納め、それぞれ筆名・歿年月日・享年と共に代表的作品名一つを刻記してあるが、三上のところには当然「雪之亟変化」の名が後世に残るようにしてある。こゝに新しく生まれた二代目中村雪之亟氏も、先輩諸優に負けないような新時代の女形として研鑽して、後世に名を残して欲しいと望むのは、私のみならず地下に眠る原作者の願いでもあろう。
                       昭和四十七年七月 吉日
                 長谷川 仁(随筆家・時雨女史長男)

(襲名公演のプログラムより)